2006年世界選手権優勝時のエピソード
2013年3月3日、コーチングツアーにてスペイン代表のヘッドコーチをされていたペップ・エルナンデス氏と会談をさせて頂きました。ツアー後すぐの公開は控えておりましたが、3年の月日を経てこの度、会談の内容をレポートにまとめましたので是非多くの皆さんにご覧頂ければと思います!!!
今回はレポート第1弾として2006年に日本で開催された世界選手権の時の内容を中心にお届けします。
2006年世界選手権優勝祝賀会にて|出典:Scariolo nuevo seleccionador español
スペイン・マドリード出身のバスケットボール指導者。
1994年にCBエストゥディアンテスのヘッドコーチに就任。
2000年にはコパ・デル・レイ優勝に導くなど、エストゥディアンテスを支えた。
2006年世界選手権を前にスペイン代表のヘッドに就任。初優勝に導いた。
2007ユーロバスケットでも世界選手権とメンバーを変えず指揮を執り、準優勝。
2010年にホベントゥート・バダローナのヘッドコーチに就任。
2011年にエストゥディアンテスのヘッドコーチに就任。
日本を訪れてみた感想は?
ペップ氏の経歴を見てもエストゥディアンテスとの関わりが大きいと思いますが、あなたにとって“エストゥディアンテス”とは?
私が初めてバスケットボールを始めたのは8歳か9歳でした。その頃の私の夢はエストゥディアンテスの選手になることでした。エストゥディアンテスはその頃ディビジョン1に所属していましたしね。しかし15歳を迎えたとき選手としてはプロのレベルまで到達することは無理だと気づきました。それでもバスケットボールには関わっていたかったため、15歳からコーチを目指しました。プレイヤーとして引退を決意したのは17歳の時でした。
コーチを始めた頃はミニバスを教えていました。それから17年間、エストゥディアンテスの下部組織の選手を教えていました。その後、6年間のエストゥディアンテスのトップチームでアシスタントの経験をした後に、ヘッドコーチを務めました。11年間、ヘッドコーチとしてエウトゥディアンテスに携わったのち、スペイン代表のコーチを経験し、その後はホベントゥート・バダローナというリッキー・ルビオを輩出したクラブにいきました。カンテラ(育成組織)がとても充実したクラブでした。
始めはどのようなコーチだったのですか?
「あうゆうコーチにはなりたくない。」
自分が選手の時、実際に指導を受けたあるコーチに対してのイメージが最初に沸いたのです。何故なら、そのコーチはフェアではなかったからです。公平さに欠けていました。なので、彼を反面教師として、自分がコーチになる時には公平さを大切にしようと考えました。
指導者たちには責任があります。何故かというとコーチはどの選手を試合に出すかを決めます。また次のシーズンにはどの選手を残し、どの選手は入れ替えるかということもコーチが決定します。つまりコーチの決断は選手一人一人の人生を決めることなのです。プロを目指している選手の一人を試合に出す、もう一人は出さない、と決断するということは彼らの人生を大きく左右することになります。だからこそ公平さが非常に大切だと感じるのです。
2006年世界選手権 ペップ・エルナンデス|出典:Premio “Amigo del Rioja” para la Selec
日本で優勝したことが一番の思い出だと思うのですが、二つ目の思い出はなんですか?
では一番の良い思い出は何だったのですか?
大会期間中のヘッドコーチとしての仕事を具体的に教えてください。
そして対戦相手を分析することより大事なことは自分のチームをもっとスカウティングすることです。つまり我々のチームが今どんな状況なのかをスカウティングすることです。
分かりやすい例としては世界選手権の決勝はスペインのパウ・ガソルがいなかった試合です。それに対してスペインチームが取るべき解決策はなんなのか、自分たち自身でスカウティングしなければならない。スカウティングというのは戦術的なことや技術的なことのみならず、メンタル的な部分まで分析することであり、自チームの分析は対戦相手のことをスカウティングする以上に大事なことなのです。
大会期間中で一番印象に残っているシーンは何ですか?
なぜなら、チームはパウが一番大切な選手だと思っていました。これは私が言ったわけではなくチームがそう思っていたのです。
何が悲しいかというとチームメイトにとってパウガソルが一番大切な選手であったということ。その選手がプレイできない、チームが試合に負けてしまうというのが悲しいのではなく一人の友人として、大切な友人が初めて決勝に進んだのにその舞台に立てないというのがとても悲しかったのです。
パウが怪我をして、そのときは皆泣いていましたが、決勝の時は皆でパウのために頑張ろうとチームは結束しました。友情が深まった機会でもあり、チームとしてまとまった瞬間でした。
2006年世界選手権 選手を指揮するペップ・ヘルナンデス|出典:Pepu Hernández, claves para construir
ペップ・エルナンデス氏会談レポートその2に続く。