
子どもを「自ら考え、工夫する選手」に育てるために、3つのポイントがありました。
1.決断の機会を奪わない
2.失敗する前に助け過ぎない
3.「かわいそう」を履き違えない
今回は、、
◆3◆かわいそうをはき違えない
についてです。
これは、僕が大学時代にアルバイトに行っていた会社の専務さんから言われた一言です。
この方はもと教員だった方なので、教育にも造詣の深い方でした。
その方が言っていたのは、「子どもがかわいそう」というのを履き違えてはいけないということでした。
子どもがバスケでがんばってるから、部屋の掃除はかわいそうだからやっといてあげよう。
かわいそうだから、あれもこれもやってあげよう。
この「かわいそう」は、結局のところ、子どもにとって“機会”を奪うことになっているのです。
・自分で使ったものは自分できちんと片づけるということを学ぶ機会
・自分でできることは、自分でやるということを学ぶ機会
こういった機会を奪われてしまうこと自体子どもにとって「がかわいそうなこと」なのです。
関連するネットの記事があるのでご紹介しておきます。ぜひご一読ください。
試合などの移動は現地集合、現地解散が基本だというヨーロッパのサッカークラブについて話を聞いたことがあります。
どのような手段で移動するか、何時に出発するか、ユニホームは何色を持っていくか、といったことも子ども達に考えて行動させているそうです。
時間までに集合場所に来れなければ試合に出れない。
試合に必要なものをもってこれなければ試合に出れない。
それは、社会に出た時に時間を守れなっかたり必要なものを持ってこれなかったりすれば、仕事を与えてもらえないのと同じ。
そういったところから、選手達に自立の文化を作っているのだそうです。
日本で同じことができるかというと難しい部分もあるかもしれませんが、一つの例としてご紹介しました。
子ども達に何かを委ねるということは、親がやってあげるよりも時間がかかるとか、精度が落ちるとか、危ないとか、色々なリスクが伴います。
しかし、そのリスクを恐れて子どもに何かをしてあげるということは、逆に子どもの成長を損ねる・成長を奪うというリスクもあるということを知っておかなければなりません。
このリスクのバランスを常に捉えなければならないと思います。
つまり、子どもの部屋が汚いというリスクは、子どもが自ら部屋を片付けるよう教育する機会を失うリスクよりも間違いなく小さいはずです。
根本的に、子ども達には様々な可能性があり、信じてあげることができるかどうか、期待を込めて任せてあげられるかどうかで随分と結果が違ってくるようです。
かわいそうをはき違えるということは、すなわちリスクの見誤りであり、子どもに対する不信であり、可能性を安く見積もっている結果です。
子ども達が自ら考え工夫する選手になるためにも、まずは大人が子ども達に対して、「かわいそうを履き違えない」というのが大事になると思います。
子どもがやれば出来ることは、極力子どもに任せましょう。こと、自分の好きなスポーツのためのことであれば、なおさらです(^^)
スポーツが好きであれば、そのために必要なことはやると思います。
高いレベルを目指しているのであれば、甘えてなんでも人にやってもらっていては、何でも自分でやっている人に勝てないということは理解できると思います。
(※最終的には自分でやっているレベルの高い選手が他人の力を借りるようになるとさらに強いのですが・・・なので、ここでは人の手を一切借りるなということが言いたいわけではありません。)
自立した選手でなければ、自分をなりうる最高の自分に近づけることは出来ません。
保護者の方々の力をお借りして、バスケットボールの世界にも自立した選手、なりうる最高の自分に近づける選手をたくさん育てていきたいです!!