
ブログ読者の皆さん、こんにちは(^^)
これからお世話になっている高校に行って、クラブチームのメンバーの練習を行います。
クラブチームの卒業生もその高校でお世話になっているので、なんだか縦のつながりを感じてとても嬉しいです。
さて、今回は遊びとスポーツについてです。
子どものスポーツは元々遊びの延長でした。
遊びはやるかやらないかの選択は自由だし、楽しい。
楽しい遊びはやめろと言われても没頭していつまでも遊び続け、つまらない遊びはやれといわれても続けません。
今の子どものスポーツではときどき「さぼる」という言葉が使われます。
「さぼる」という言葉は「義務」や「やらなければならないこと」に対して使われます。
いつしか子どものスポーツは遊びから離れ、「やらなければならないもの」に変化していきました。
その大きな要因は「アスリートのスポーツ」が子どもの世界へ浸透したことだと思います。
もちろん、小学生や中学生のころからオリンピックに出ることを夢見て、厳しいトレーニングに挑戦していくような子ども達もいると思います。
そういう子ども達のことを否定するつもりはまったくありません。むしろ、そういった子ども達と一緒に練習することは我々ジュニア期の指導者の喜びでもあると思います。
しかし、すべての子どもがそうあるべきと考えるのは違うのではないでしょうか。
Playという言葉を辞書で引くと“遊ぶ”と訳されていると思います。
プレーヤーとは「遊ぶ人」といってもいいでしょう。多くの子どもはプレーヤーであってアスリートではありません。
いまは、アスリートを目指す子もプレイヤーの子も同じ部活動の中でスポーツをしているケースが多いと思います。
これはどちらにとっても良い環境にはなりません。やはり、バスケットボール界もこれからクラブチーム化の流れが間違いなく進んでくると思います。
アスリート的にやりたい選手とプレイヤー的にやりたい選手がそれぞれ好きな環境を選べるように、我々の世代が文化を作っていかなければなりません。
昔、NIKEがCMでこんなフレーズを使っていました。
「いつか遊びがものをいう」
超一流のビジネスマンほど、上手な息抜きの仕方を知っています。
子ども達も、一生懸命取り組む側面の裏には、純粋にスポーツを楽しむ、遊びの要素を持ち続けることが大事なのではないでしょうか。
そういった意味でも、僕たちがいま開発している「楽しさ重視のドリル達」は貴重な武器になるかもしれません。いつか皆さんにご紹介できればと思います。
色々とまとまりなく考えを述べてしまいましたが、言いたかったことはこういうことです。
我々にできることで最低限守らなければならないことは、
・子ども達がプレイヤーからアスリートへの階段を登る邪魔をしないこと
・アスリートになることを強要しないこと
の二つなのではないでしょうか。
最近の記事
- おすすめ記事
検索
Copyright © 2020