クリーンバスケットという指針

鈴木良和のブログ

鹿児島県バスケットボール協会さんがFacebookで紹介していましたが、
JBAから「クリーンバスケット、クリーン・ザ・ゲーム」というメッセージが発表されました


https://www.facebook.com/284052164950855/posts/2312767445412640?sfns=mo

暴力、暴力的行為、暴言が、スポーツの社会的価値を脅かすため、それを排除しようというのは、JBAとして然るべきアクションだと思います。

わかりやすく言えば、

一般の家庭が、社会が「バスケって大人が子どもに暴言あびせまくるスポーツでしょ。やらせるのやめとこ」ってなってるということなんです。

もしくは、子どもに対してじゃなくても

「大人同士が大声で堂々と文句を言い合ったり、お互いに、けなし合うような環境に子どもを預けたくないな」と思われないようにするということでもあると思います。

ドラッカー曰く

「企業倫理や企業人の倫理については、数え切れないほど説かれてきた。だが、それらのほとんどは、なんら企業と関係がなく、倫理ともほとんど関係がない」

(ドラッカー名著集(13)『マネジメント―課題、責任、実践』[上])

 企業倫理に関係がないにもかかわらず、企業倫理として説かれてきたことの典型が、企業人たる者、悪いことは、してはならないだった。

企業人は、ごまかしたり、嘘をついたりしてはならない。

しかし、これは、企業人ならずとも、してはならないことである。社長になったら人間でなくなるわけではない。

 社長になるまでは悪いことをしてもよいというわけでもない。悪いことをしたら罰せられるだけである。

 企業倫理に関係がないにもかかわらず、企業倫理として説かれてきたことのもう一つが、企業人たる者、紳士淑女として恥ずかしい仕事の仕方をしてはならないということだった。

ドラッカーは、顧客をもてなすために恥ずかしい接待の仕方をすることは、美意識の問題だという。翌朝、鏡の前に立ったとき、そこにいかなる自分を見たいか。

ということです。

つまり、指導者としての倫理という話の前に、そもそも人としてダメなことはダメだということ。

指導者として、自分を鏡で見た時にそこにいかなる自分を見たいか、ということだと思うんです。

JBAからのメッセージについて、指導者だけでなく、選手を預けている保護者の方々も一緒に考えていくことが大事だと思います。

そして、ただルールだからと行動を変えるのではなく、その本質をしっかりと理解することが大事だと、僕は読み取りました。


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