日高先生から指導者の皆様に伝えたいエピソードを紹介します。
>日高先生より
子どもは楽しいと思う事に取り組みます。
幼稚園で先生のお手伝いをしていた時、言った事をやってくれないお子さんがいました。
「〜ちゃん、どうしてやらないの?」と尋ねると
「だって、つまらないんだもん。」と言われました。
選手は「PLAYER」です。楽しくない事には前向きに取り組みません。
どんな練習にも「PLAY」の要素を作って指導する事が大切だと思います。
しかし、単純な楽しさでなく、上手くなるためにレベルアップするための楽しさが必要で、ここを勘違いしてはいけません。
毎日の練習ドリルは「積み上げ算」的に組むのではなく「モザイク」的に組むべきです。
例えば、いつもウォーミングアップからハンドリング→1on1→スリーメンなど同じ順番で同じ練習でなく、少なくても順番を変えるという工夫が大切だと思います。
子ども達は練習ドリルが同じ順番だと次のドリルを考えてキツイ練習の前に手を抜く事があります。
子ども達の頭の中を常にフレッシュにするために、いつもと違う順番にしてみたり磨きたい能力が同じでも違う練習の仕方にしてみる工夫をして欲しいと思います。
<参加者の方からの質問>
>コーチングフィロソフィーや哲学的な部分で「これは伝承したい!」という事はありますか?
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日高先生:
兄弟で船に乗っていたところ、渦巻きに飲み込まれたという有名なエピソードがあります。
お兄さんは「もうダメだ」と諦めたが、弟さんは「何か助かる術があるだろう!」と助かる術を探しました。
弟さんは、1つの流木を見つけそれにしがみ付いたところ一命をとりとめたと言います。
指導者も同じで、子ども達を良くするために「もっと何かあるだろう!」と思って本気になって探す事が大切です。
「ここまでやったら後は仕方ない」という事ではなく、常に何かを探し続ける姿勢が大事だと思います。
<インタビュー>
この度はイベントへのご協力ありがとうございました。
先生が「指導は伝承されるようにしていく必要がある」と感じられたのは「いつ、どんな時」ですか?
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日高氏:
指導を初めて数年が経った頃だと思います。名将として知られた尾崎正敏さんが亡くなられた時、またバスケットに関係なくても日本の伝統芸能を守ってこられた職人の方々が亡くなるニュースを見たときに「この方々が築き上げてきたものは伝承しなければ、また一から作り直しになってしまう」と思ったのです。
尾崎正敏さんは女子の監督さんで、1965年の第1回アジア選手権で準優勝、一時退いた後、1970年のアジア選手権で初優勝、翌年の世界選手権で監督に復帰し、1974年のアジア大会でも優勝、翌年の世界選手権で全日本女子史上最高の成績となる銀メダルを獲得されました。その翌年のモントリオール五輪ではアメリカを破る快挙を成し遂げています。
こういった方の指導は伝承されていかなければいけないと感じています。
遂行知、技術知を英語で「knowing how」と言います。
どうやるか、を言葉で残していく事で偉大な指導者の指導方法を伝承していく事が出来ます。
<インタビュー>
シュートスキルを伝承する際に、どのような事を考えましたか?
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日高氏:
若い頃にスポーツ少年団のお手伝いをしていた際、休み時間に遊んでいたらバスケットが専門でない講師の方から「バスケットをやってる選手はボールが真っ直ぐリングに飛ぶなー」と言われました。
あっこれがシュートの原則だな、と気づきました。
そこから
1番にボールがリングに向かって真っ直ぐ飛ぶ事
2番にボールにスピンをかけながらリングより上に高く上げる事
3番にリングは小さいのでコントロールが出来る事
4番に遠くから決めるためにはまず脚力をつかう事
5番に試合では良い判断でシュートを打つ事
という順番でシュートの技術を磨いていく必要があると考えました。
終わりに日高先生からのメッセージ
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選手の皆さんへ
「夢、希望、憧れを持ち、計画を立ててください。どうしたら達成できるのかを、是非、考え続けてください」
指導者の皆さんへ
「子供達の”夢の破壊者”になってはいけません。少なくても子どもの足を引っ張らない事。それが最低限の務めだと、個人的には思っています」