プレーだけではない、バスケットの向き合い方と声掛けが成長の架け橋に

今回の物語の主人公は現在中学1年生の滝島凪さん。

凪さんはバスケットが好きで毎日ボールを触り、ドリブルやシュートの練習を欠かさない選手だ。大好きなバスケットボールの練習に取り組み続け、小学6年生の12月に8スターズを達成した。

検定の項目に取り組む中で、「はやく検定をクリアしたい」そう決めた凪さんだが、コロナ感染拡大に悩み、なかなか思うように練習が出来ない中でも諦めずに取り組んだ。そんな凪さんの取り組みが8スターズクラブ認定へと導いたのだろう。さて、どのように取り組んでいったのだろうか。

凪さんの努力やバスケットに対する熱意は、他の選手へのエールになる。そんな魅力たくさんの凪さんについてせまっていきたい。

自分の課題と向き合う まずはやってみる

凪さん自身が課題としているのが体幹だということを話してくれた。ではその課題にどう向き合い、乗り越えていったのだろうか。

検定の項目を全てをクリアした凪さんは、体幹の項目が検定で最も苦労したと話してくれた。

その中でも一番時間をかけた体幹の項目が最後の1級『ギャノンプッシュアップ』である。このメニューはボール4つの上に手・足をそれぞれ置き、頭からかかとまでが一直線の状態で腕立てを行うというものだ。これは大人が行うにも難しい項目であり、今までも多くの挑戦者が難しいと声を揃えて言う難易度の高い項目である。

最初見たときは自分も同じようにできるのか分からなかったです。でも、家にある自分のボールと兄のボールをサイズは違うけど使って練習し続けました。毎日行い、続けると2週間ほどでできるようになりました。

難しいことにもまずはやってみる、あきらめずに努力しようとする凪さんの取り組む姿勢が見られた。これは簡単にできることではなく、凪さん自身がやりきるという覚悟があったからこそ成し遂げられたのだろう。

検定を本格的に取り組むようになったのは、感染症流行による自粛期間中に学校・練習会が止まってしまい、家にいる時間が多くなった時にやりたいと思ったことがきっかけだったそうだ。その時のエピソードを話してくれた。

自粛期間中は特にテニスボールドリブルに取り組みました。家の駐車場を使って練習を続けて、次の練習会があった時にすぐクリアになるようにたくさんやりました。

母の与志子(よしこ)さんも

自粛期間にやることがなかったときに(学校も休みだったから)徹底して取り組んでました。初めはテニスボールのキャッチもできなかったのですが、そこからコツコツ練習してできるようになって、それから検定に積極的に取り組むようになったと思います。」

と凪さんがより練習に没頭するようになった様子を話してくれた。

インタビューをしながら「本当はもっと早くクリアしたかった」という凪さん。その中での自粛期間となってしまう。その期間をどのように過ごしていたのだろうか。

すぐクリアできるように自粛期間練習し、スクール開催の時にまとめてみてもらいました。もともとクリアをしていたものもあったので、それ以外のものを自粛期間に練習できたおかげですぐ出来たのだと思います。

練習会でできるようにするのではなく、家での自主練習でできるようにして、練習会に行くように徹底していた凪さん。その計画性や徹底する意識の高さをとても感じた。これを小学生の段階で行っているというのだから驚きだ。

インタビューをした時もこのエピソードを楽しそうに話しており、自らの意思で進んで取り組んでいたからこその成果であるといえるだろう。

その他のエピソードも聞くことが出来た。

他のカップリングスキップやコーディネーションレイアップは練習会の時にその場でやったら、すぐ出来たので苦戦しなかったです。でも、コーディネーションレイアップは1・2級になると足の間を通してレイアップをすると思うのですが、その検定をクリアするのに時間かかりました。最初はやったらぜんぜんできなくて、それが悔しくて練習しました。

この話のように、中にはその場で出来るものも多かったようだ。だからこそ、できないものが出てきた時に悔しさを努力に変えて、練習を続けていたそうだ。その意思の強さがあったからこそ、クリアに繋がったのだろう。

検定の取り組みに対して母・与志子さんからも

本当に初めてのものでも少しやると、すぐクリアしてしまうので、すごいなと思っていました。
本当は早くクリアしたかったんですがコロナで長くスクールが無い期間が続いたので、残念だなと思っていました。でも自粛期間があったからこそ、徹底して練習していましたし、小学生の間にクリアするという目標でがんばっていたと思います。

小学生の間にクリアすると有言実行するのは簡単なことではなく、その期間も感染症流行により十分な練習環境が整わない中であったのにも関わらず達成した凪さん。その姿はインタビューからも「やらされてやっている」という様子はまったくなく、バスケがもっと上手になりたいという強い決意によるものであり、純粋にバスケットが好きだということが伝わった。

その姿からも凪さんの魅力を感じることができた。

ただ聞くだけでなく 自分の生活に活かす

検定カードの他にもう一つ、8スターズクラブ認定への条件として「子どものスポーツのすすめ」という冊子の内容をアウトプットすることがある。

この冊子には、これから成長するために大事な考え方や物事の捉え方など、様々なことが書かれている。話を聞くだけでなく、誰かに話すことでより深く理解し、身に付けることができる。

その取り組みを行う中で、凪さんに一番印象に残っている話を聞いてみた。

それは「中国の竹の奇跡」とのことだ。

要約すると、竹の成長は始めはなかなか伸びないけれど、5年目にして一気に25m伸びるという話である。

なぜこの話が凪さんの心に刺さったのか。

身長が小さい分、今はゴール下のディフェンスがたくさんいる中でシュートが打てなかったり、体幹がまだないから当たり負けしてしまったりします。でも、この話をきいて、今はできなくても一生懸命頑張っていればできるようになると思わせてくれて、すごく印象に残りました。

これからもっと成長したいと思っている凪さんだからこそ、その成長のために今わからなくても努力を続けることができているのだろう。この他にも冊子に書かれている内容はどれも好んで話していて、家族や友達にも進んで話していたそうだ。

その時のエピソードを母・与志子さんから聞くことができた。

冊子の内容を好んでいました。読んだことやコーチの話からヒントを得て自分ごとに反映させていて、その様子が好きでやっているように見えて、『子どものスポーツのすすめ』は子どもにとても影響力があったと思います。
冊子の内容を友達に話をしていることもあり、その友達からもなんで知っているの?と聞かれるぐらい理解していたと思います。
ただ聞くだけではなく、自分に落とし込み、そこから考えて発展させていたので私も学ぶことが多かったです。

学んだことを家族だけではなく周りの友達にも話し、理解をより深くしていたことも凪さんの成長に繋がったのではないだろうか。

自分の立ち振る舞いで引っ張るリーダーシップ

話を変えて、ERUTLUCに出会ったきっかけを聞いてみた。

兄が先に参加していて、入りたいと思い参加しました。

ERUTLUCのスクールに参加して、多くのことを学び、すべてにおいて変わったという凪さん。果たしてどんな変化があったのだろうか。

技術面ではドリブルとシュートは成長しました。
ドリブルスキルは練習中に足りないなと思うスキルを考え、自分でメニューを考えて練習していました。そのメニューは毎回変えて行っていました。

自ら足りないメニューを考え、それを毎回変えて行っていた凪さん。その自分との向き合い方はどの選手にとっても参考になるものばかりだ。

シュートは苦手だったけど、練習で映像を撮ってもらい、それを見返したり、修正したりすることでよくなりました。フォームがきれいになって入るようになったと実感できて、スリーポイントシュートは普通に届くようになり、高いリングにもチャレンジ出来るようになりました。
また、シュートに関しては学校に毎日いって、放課後の校庭開放を利用しながら本数を決めて自主練しています。スクールでも多くシュートを打てるように意識するようになりました。

この成長も凪さん自身が目の前の練習に一生懸命取り組み、上手になろうと日々努力を重ねてきたことの成果であろう。このような毎日の積み重ねも楽しいと話す凪さんの姿はとても頼もしく見えた。

こう考えるきっかけも何かあったのだろうか。

「鈴木良和コーチの『人間は主語を捉えにくいから、相手から言われた言葉でそれを受け止めたらそれに自分も影響する』という言葉が1番影響されました。これを聞いた時に、今まで考えてもいなかったので、考えるきっかけになりました。意識できるようになってからは、親にもそれを指摘できるようになりました。

母・与志子さんから、

私があることで注意をしたときに、『それはちがうよ?この部分はわかるけど、それはちがう。』と指摘してくれるようになって、私自身も勉強になっていました。

自分の言っていることに対して指摘できるようになった凪さんの成長を心から感じていることだろう。

ERUTLUCのスクールに通うようになって、多くのことを自分のことと捉えて取り組んでいった凪さん。その謙虚な姿勢が凪さんの成長だけでなく、普段関わる人にも影響を与えていたという。そのエピソードも聞くことができた。

ミニバスに所属しているのですが、チームメイトのためにも自分のためにも、いい言葉掛けを自然にするようになった。
コーチのいつもの声掛けを真似て行ってて、リーダーシップを発揮できるようになったのではないかと思います。
後輩に『いいね、大丈夫?』と進んで声かけるようになし、空気を良くするような立ち回りをできるようになりました。」

母・与志子さんが凪さんの普段の様子を教えてくれた。

プレーだけにとどまらず、声掛けでチームを引っ張ろうとする凪さんの意思が感じられるエピソードだ。

この姿から「後輩に慕われることも多くなり、『凪くんのようなプレーができる人になりたい』と書かれたこともありました。」と人としても、周りに影響を与えることができるすばらしいプレイヤーへと成長している。

それは普段から努力を続けている凪さんだからこそ、周りの人からの信頼や期待を獲得することができており、今までの凪さんが取り組んできた積み重ねによるものであるだろう。

挑戦し、伝説の選手になるために

多くのことを学び、コロナ渦にも関わらず積極的にチャレンジをして大きな成長を遂げた凪さん。そんな凪さんに得意なプレーを聞いた。

ドライブやキープのときのドリブルが得意です。小学2年生後半のころ、レッグスルーがどうしてもできなくて、そういったできない技があると出来るまで徹底してやり続けていて、そこからは自然とできるようになりました。

母・与志子さんからも、ドリブルのエピソードを聞くと「自粛期間にドリブルの練習しかできなかった分、ずっとやり続けて上手になったと思います。ハンドリングはチーム的にもやるチームで、そこで悔しくてやるようになりました。身長が小さい分、ドリブルを一生懸命頑張っています。

自分の中での強みを理解しているからこそ、何が必要で、何をできるようにしたほうがいいのか考えながら取り組まれている様子がインタビューからも感じることができた。そのように自分自身と向き合い、考えながら行っている凪さんのプレーは日々成長をしていくことだろう。

今後の目標となりたい自分の姿

今後、どんなプレーを身につけていきたいか聞くと、

プレー面で頑張りたいことは、ペイントエリアのようなディフェンスがたくさんいる場所や、プレッシャーが苦しくなったりする場所でも当たり負けしないようにするシュートを身につけていきたいです。ステフィン・カリーのように体勢を崩しても決めきれるように、追い詰められてもディフェンスが前にいても決めるようになりたい。体幹やぶつかる習慣、当たっても崩れないようにしていきたいし、体を鍛えたいです。

まだ、完璧にはできないが中国の竹の話でも話していたように、いつかできるようになるその時まで、今できてなくても努力を重ねていきたいという。そのために何を行っていくのかというところまで考えており、凪さんの自己分析の高さにも驚きである。

そして将来、どんな選手になりたいか聞くことができた。

マイケル・ジョーダンのように伝説に残る選手になる。

「また、ERUTLUCの練習会で教えてもらったウォーリアーズのドレイモンド・グリーン選手のチームメイトにレイアップシュートを外しても『レイアップを外してもいいよ。俺も外すから。』と声をかけていた話を聞いて、こんな選手のように声掛けをできるようになりたいです。」

プレーだけでなく、声掛けを通して人として語り継がれていくような選手になりたい。バスケットをしている人なら誰でも知っているような、伝説に残る選手になりたいと強く言っていた凪さん。そのために、ここまで述べてきたこと以外の場面でもたくさんの努力を続けているのであろう。

母・与志子さんからも

当時バスケットを初めてすぐのころ、ミニバスのクリニックで、当時川崎ブレーブスにいた辻直人選手(現:広島ドラゴンフライズ)がクリニックに参加した時に教えてくれて、その時に沢山の話をしてもらい、バスケットの練習を一生懸命するようになったと思います。

この話に凪さんも

小さい頃、クリニックに参加したときに辻選手が特別にきて一緒にバスケットをしました。その時バスケにするか、サッカーにするか迷っていた僕に、辻選手のバスケが好きだった話や大きく伸びなくても小さなことをコツコツを積み重ねていくことの大切さを聞いて、バスケットを頑張ろうと思いました。

これから出会う多くの人に影響を与え続け、伝説に残る選手になるように頑張っていくと宣言していた凪さんの今後の活躍と成長に期待したい。

PROFILE

名前:滝島 凪(タキシマ ナギ)

生年月日:2009年9月16日生まれ

出身:東京都小平市

PHOTO_TEXT_藤田 麗奈

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